茶碗が辿った道--馬蝗袢


今日はあたり一面の雪景色。朝、夏タイヤで出かけた方は帰ることができるかどうか危ぶまれるほどに雪が降りました。我が家も今朝夏タイヤに替えたばかりで、出かけることままならず、家に閉じこもっております。
さて、昨日は我が家にお茶道具屋さんが参りました。錆が出て来た釜を修理ができるかどうか診てもらうためでした。結果は、安価な釜だったので鉄の質もよくなく、修理してもまた錆が出てくるだろうということで、トホホホの展開でしたよ。
まあそのことはさておいて、道具屋さんが抹茶碗の資料にとコピーを取って来た紙の大きさに、あれ?と思い、私もその本を持っっているんです。これではないですか?と昨年末にお茶友さんから頂いた大型本を持ち出しました。
そうですそうです。この本には実に面白い茶碗が載っているんですよ、といって「青磁」のページを開きました。それがこの馬蝗袢(ばこうはん)という茶碗です。
1175年ごろ平重盛晩年の頃、当時は南宋時代の育王山に黄金を寄進した時、住持仏照禅師から返礼として送られたのがこの青磁の茶碗です。
なぜ重盛は中国の寺に寄進したのかというと、自身の来世の為に善根功徳を積んでおきたいが、日本では子子孫孫に先祖の後生を祈ると言うことは難しいので、正直者で有名であった妙典(みょうでん)という船頭に黄金三千五百両を託して中国・育王山に送り出しました。
薄地の青磁は中国宋の時代(960〜1279)に造られていましたが、この茶碗は南宋竜泉窯の上作とされています。
その後、この茶碗は茶湯の祖村田珠光茶の湯を学んだ足利義政の所蔵となります。義政はひび割れがあるので、同じような茶碗を入手したいと思い、中国・明に送ったところ、明からは、すでにこのような名品の青磁は作れないと、ひび割れを鉄の鎹(かすがい)を打って止め、送り返してきました。
焼き物に鉄の釘?そのような技術があったんですね。鎹を打った青磁茶碗は馬蝗袢と名付けられさらにその価値も上がりました。
中国から海を越えて日本に渡り、また日本から中国そしてまた日本へ、当然海を越える飛脚や宅配便がない時代のこと、
船が嵐に遭って難破する危険性を乗り越えて、3回も海を渡り、今重要文化財として保存される青磁茶碗の来し方を思えば不思議な感じがします。
お茶の世界---茶碗をめぐって遡れば果てしの無い魅力溢れる世界ですね。