空也最中 

hahatenのアバウト生活、どうでしょう?

銀座6丁目「空也」買うためには予約が必要という、一日8000個売り切れのお店

この度お茶友さんが東京へ出かけた際のおみやげです。

2015年8月に彼女から初めて頂戴したのですが、最中好きのhahatenを気に留めて下さっていたようで、昨日届けていただきました。有難いことです。7年の歳月が流れましたが、最中の皮は香ばしく、餡は質実剛健の風は変わらず、

ワクワクしています。お店の由緒などネットから引っ張らせてもらいました。

 

 

空也の初代は、もとは畳屋として江戸城に出入りしていたが、大政奉還で職を失った[3]。そして、瓢箪を叩きながら踊る踊り念仏の関東空也[2]で親しくしていた日本橋榮太樓總本鋪の主人から、職人を集めて和菓子屋になることを勧められ、1884年上野池之端で店を創業した[3]。従って屋号の由来は空也上人であり[7]空也最中の瓢箪型も踊り念仏で使う瓢箪に由来する[2]空也夏目漱石をはじめ林芙美子舟橋聖一など明治から昭和にかけての文豪たちから懇意にされ[9]、『吾輩は猫である』など、彼らの作品の中で「空也もなか」や「空也餅」がしばしば登場する[3]。初代は跡継ぎがいなかったため、大番頭だった山口家がその後は代々店を継いでいる[7]池之端の店は1945年東京大空襲で焼け[3]1949年に三代目の知人の勧めで銀座へ移転し、木造二階建ての店構えで店を再開した[10]

hahatenは昔から最中大好き人間。最中は皮が命、餡はお愛想程度でいいという変わり者です。外出には薄いコートが必要ですが、秋晴れの明るい日が続きそうです。頃合いをみながら歩きに出かけたいと思っています。ではまた明日ね。