「利休にたずねよ」 本当に久しぶりの読書三昧

昨年直木賞を受賞した山本兼一作「利休にたずねよ」を読みました。目の調子が悪く読書を封印していたhahatenですが、タイトルの誘惑に勝てず、一気に読んでしまいました。おかげで目はショボショボ、デス。
物語は、秀吉によって利休が「死を賜る」という自害のその朝から始まり、19歳まで折々の人々にその思惑の中で語られながら時が遡り、そして、また、自害を終えたその日に戻って、終わりとなるのです。
利休本人はもちろんのこと、秀吉や家康、信長、利休の弟子であった細川忠興古田織部山上宗二など、妻であった、たえ、宗恩、そして、楽茶碗の祖、長次郎などなど、利休とのかかわりがその人々のの視点、利害関係などで語られながら物語は進んでいくのですが、でも利休という茶人の一点軸になる線が見えてこないもどかしさのうちにどんどん時代が遡っていくのです。
その一点は物語の最後に、19歳のときの出来事として語られます。
高麗から売られるためにかどわかされてきたある女性は逆境に置かれてもなお気品ある態度を崩さずその凛とした美しさに若い利休は恋をし、遠く高麗へ共に逃げようと画策するのですがうまくいかず、潜んでいた浜の苫屋で追っ手にみつかり、共に死のうとお茶に毒を入れてその女性はそれを飲み下し死んでいくのですが、利休は毒入りの茶を飲もうとするのですが手が震え、果たせず、その女性の小指を食いちぎり、それを彼女が身に着けていた緑釉の子壷にいれ、そして利休は堺に戻ることとなるのです。この小壷は利休自身生涯その身から離すことなく、最後の日の炉に小指の骨と爪を入れ、利休自身もその一生を終えることとなるわけです。
この19歳のときの出来事が、事実だったのかどうかわかりませんが、この女性の象徴としての「槿」の花、そして囚われの格子戸、狭い苫屋が後の2畳の茶室「待庵」に結実してゆく設定はとても説得力あふれる展開でした。利休が追い求める美の原点が最後の最後に語られるわけです。
この「利休にたずねよ」とは利休亡き後、秀吉が発した言葉だそうですが、 利休のことは利休に訊ねるしかない。利休の茶は利休にしかわからないのだから・・・こんな感じでしょうか? 

このところ、雑誌などパッパッ読み、斜め読みのhahatenでしたので、本当に久しぶりの長編小説を読んで、得意げに長々とお披露目をしてしまい恥ずかしい次第です。

ちなみに、市立図書館からの借用で読みました。11館ほどの所蔵ですが、予約で一杯、hahatenの場合500人待ちで借りた次第です。急いで読まなければならなかったわけですね。現在も330件の予約があるそうです。