母の縫い物

母は3月で91歳をむかえますので、ということでもないでしょうが、縫い物の針をもつこともなかなか大変なようです。母は若いときから、仕立物をしながら家計の大黒柱となって働いてきました。
今私は、20代のときに仕立ててもらった着物を、水屋着を作ろうかと思い立って分解中なのですが、整然と置かれている縫い目の端正さに時々見入ってしまいます。絎け縫いも一定の間隔で針をすすめており、細かいところの処理も糸が解けないほどにしっかりと縫っており、母が自信を持って縫い仕事をしていたんだなあと思わされます。
母が言うには、呉服屋さんの仕立てをしていたので、仕事が山のようにあったそうで、仕立賃が膨らんでくると、そのお店から「一反どうだろう?」といわれ、仕事をもらっている立場は弱いから、時には反物を買っていたそうです。私が作ってもらった着物のほとんどが、そういう気遣いの産物だったのかもしれませんね。
その母が最近、自分の着物、気遣いの産物を私に払い下げてくれると言っているのですが、私サイズに裄を(袖を)直すに「3月になって陽が暖かくなってから」と、見れば手のひらはささくれ立って、シワの中に針が沈んでしまいそうな感じです。5年ほど前は日本舞踊のサークルに入っていたので、手洗いのできる素材の着物や帯を仕立てて楽しんでいましたし、私も叔母の結婚衣装だった丸帯半分を普通の帯に作り直してもらったりしていましたが、「針の目が飛ぶ、もうだめだ」が口癖になりました。
でも何といっても目が良いのがすごいなあと思います。わたしは父のマイナス因子をもらったようで、本当に目が利きません。
目が良いというのは何にも増して、頭脳明晰につながるようですね。
さて、目の弱いhahatenに水屋着ができるかどうか、出来上がったらお見せしたいと思いますが、そういう日がくるかどうか?
スカートのほうは直線処理なのでなんとか・・・問題は上着の襟元処理ですね。陽射しの明るい日中に取り組むことといたしましょう。