3.11東日本大震災 hahaten的その3

古いアルバムから出してみた、とても大切な思い出の一枚です。小学校一年生の夏から、二年の秋まで岩手県上閉伊郡大槌町の小学校に通っておりました。この写真は一年生の秋の学芸会が終わってから撮りました。背にしている家はどこだったでしょうか?向かって左のボタンいっぱいのセーターを着ているのがhahatenです。そして担任の先生は、後ろ向かって左の「佐々トミ」先生でした。りんごのような赤い頬で、とてもやさしい先生でした。私が住んでいたよりもっと奥のほうに住んでおられ、自転車で通っているという話もあり、私はいつも夕方になると先生が通らないかと道路を気にしていたのですが、先生の姿を見かけたことはありませんでした。二年の秋には私の父の仕事が立ち行かなくなって、北海道に引き上げるとわかったときには、一緒に泣いてくださったんです。
先生はその後結婚されて、岩手県宮古市の磯鶏というところに住まわれておりました。
そして・・・・・・ このたびの地震津波・・・
テレビで被害に遭われた方の消息情報をインターネットで確認できるということを知り、お名前を入れてみました。「岩手県 宮古」にその名前があり、どこかのお宅に移られたという情報が載っていましたので、教師をされていた方だろうか?という問い合わせをしました。そうしましたら今朝、先生をされていたようですよ。という情報が載りました。送っていただいた方に感謝です。
とにかく安心のできるお宅に避難されたのだな、ということがわかり、本当にほっとしました。
この写真の皆さんはその後どちらで暮らしておられるのでしょうか?もうおじさんおばさんですよね。町民の3分の2が行方不明という大槌町。もしこの町に住んでおられるのなら、この災害から生き延びてくださっていることを祈ります。
もう一人気になる方がおります。同じクラスでとても仲良しだった「臼沢洋子さん」。女性は結婚で姓が変わるので情報をたぐり寄せられません。私が元気で暮らしているように、青い空を眺めながら幸せな暮らしを送っていることを祈ります。
このhahaten blog 万が一もないかなーと思いつつ、 どこかで誰かの目にとまってくれるかも知れないと願いながら・・・・・