悪魔の飽食合唱団について(2)いろいろ考えること

歌を聴いていて耳や心にやさしく問いかけてくる「声」というのがありますよね。そんな声になって、歌を歌いたいものだなーとつくづく思います・・・
悪魔の飽食」コンサートまで一週間をきりました。日曜日の夜は札幌での練習の最終日でした。楽譜を外して85%ほどの出来でしょうか?どうしてもマスターできない部分というのがあって、本当に心許ない次第です。
今日は風がとても強い日で、風塵というのでしょうか?手稲山も藻岩山もかすみの中で、ベランダに置いたサンダルもあちらこちらと飛ばされておりましたので、庭仕事はしないことにし、終日CDを聴いて、曲の出だしの確認をしました。だからと言ってなかなか完璧になれないというのがhahatenと慰めております。

21世紀も戦乱が世界を覆っていますが、20世紀は戦争の世紀でした。旧日本軍の731部隊は「東洋のアウシュビッツ」と言われ、このことが「悪魔の飽食」を端的に示していて、誰にでも理解ができますね。
そしてこの生体実験のデータをアメリカに渡すことによって戦後裁判の訴追を逃れた高級幹部たちは戦後日本の医学界、教育界、などに君臨したということにやりきれなさを感じます。
しかも、医学のこれらのデータが現在の私たちが受けている医療に大きく貢献していることを考えたら、「マルタ」と呼ばれ生きながら切り刻まれていった人々への鎮魂歌を歌わなくてはならないのだな、と思います。そしてその鎮魂歌は過ちを繰り返さない、繰り返したくないという明確な意思表示でなければならないでしょう。

友人が一生懸命歌っているからというミーハーな取っ掛かりでしたが、この組曲を歌うことを通して、人間としてこうありたいというそんな気持ちに出会うことができ、本当によかったと思っています。
もしかして、hahatenのライフワークになったりして・・・またまた捕らぬ狸の・・・