愛媛公演を思い出しながら(2)

731部隊に捕らわれたある中国人が、自分が置かれた残酷な現状を直視しながら、10歳の娘に親としてなすべきことを断念しなければならない無念さを赤い支那靴を編むことで、何とか娘に自分の思いを伝えたいと、心を許せそうな日本軍兵士にその支那靴靴と父としての思いを託す。
第3楽章はそんな切ない気持ちに覆われた歌です。
多分10歳の娘には届かないであろうこの赤い支那靴、わかっていながら、せめて!、せめて!と思いを託す父親・・・

組曲悪魔の飽食のシンボルのひとつ、赤い支那靴のブローチを作られたのは静岡の合唱団の方々です。2008年ごろから作り始め、赤い支那靴の由来をご存知の方々に持っていただいているとのことでした。
2日に3体のペースで「消耗」されたという「マルタ」たち。生き残った人は誰もなく、家族や祖国への思いを伝える術もない・・・
731部隊の「悪魔の飽食」は旧日本帝国の「侵略戦争」だったから成し得た所業ではなかったのか?と思い至ります。
この赤い支那靴のブローチが、たくさんの人々の胸に飾られ、鎮魂の思いが第3楽章の歌となってまたたくさんの人々の胸に響くようにと思います。
いつもボーッと気持ちで動いているhahatenにピシッとスジを考えさせてくれた「赤い支那靴」!
今回は終わってみて、いろいろ刺激を受けたコンサートであったと今さらながらに思います。