映画「利休にたずねよ」

たわわなナナカマド2年前の見張り番 健在!
昨日は、思い立って札幌シネマフロンティアで「利休にたずねよ」を観て来ました。正月3日、さすがにチケット売り場は長蛇の列。ようやくカウンターにたどり着いたときは、危ういセーフで席を確保できました。ホッ。12月14日、封切の日に観た知人は、ガラガラだったとのことで、まあ少しゆっくり過ぎましたね。
映画は、希代の茶人利休切腹の日から、過去に遡り、利休像を追究しようとする物語の流れは、原作どおり。でもそこに俳優のもつ個性で実体としての具体化が表現されるのは映画だからいうまでもありませんね。時代考証や、お茶の作法にいろいろクレームが出ているようですが、2時間の中で「茶聖」利休を表現するのは難しいことでしょう。フィクションながら19歳の時から悔恨の気持ちと共に肌身離さず持ち続けてきた「緑釉の香合」で人生を終えるわけですが、秀吉との軋轢がどう深まっていったのか?切腹の日に始まり、切腹の日で終わる展開にしては、そこのところの描き方が単調に過ぎたのではないかと思います。妻の宗恩の手に残された香合も宙に浮いてしまったような感じがしました。
原作を読んでおらず、あまり利休に馴染んでいない連れの夫は「利休にたずねよとは誰の言葉なのか?この映画ではわからない」「利休の魅力が伝わってこない・・・」と言っておりました。
利休を演じた市川海老蔵の、淡々として人を突き放したような演技が素晴らしかったと思います。
お正月は混み合うので映画に行きたくないとの向きもありますが、満席だからこそ観て来た!の満足感も湧いてくるというものですね。