韓国で「悪魔の飽食」を歌えたことに感謝・・・ hahatenの場合(1) 

韓国から帰って、4日。日常の細々としたことに追われながらも、夜にはお酒を飲みながら、一緒に参加した夫と旅のあれこれを話しながら、ホントによかったねえ、一生モンだったねえ、と繰り返しています。(繰り返しは寄る年波の所為?)

hahaten流に歴史をちょっとおさらいをしてみました。
朝鮮半島と日本の関係は飛鳥時代にさかのぼるほど悠遠な歴史をもっていますが、
20世紀は、大日本帝国が植民地政策の下、属国として人間性を無視したあらん限りの蛮行をふるい、
第二次大戦後は、米軍主導の朝鮮戦争、そして民族離散の線引きを行うことを容認し、
日米安保条約のもとで、韓国の軍事政権(李承晩、朴正煕、全斗煥)を積極的に容認、支援し、それは1980年代後半まで続きました。
このたびはとても近い過去に日本が加害者となった韓国を訪れ、ソウルとチョンジュの二つの都市で、コンサートが開かれました。
告発、贖罪、鎮魂、そして希望を歌い上げる「組曲 悪魔の飽食」を、日本人のあんたは本当にこの歌を歌い切れるのかい?と自分に問いかけてしまうのは、韓国というその地に立ったからでしょうか、、独立運動に命をささげた短い命、日本人が手を下した若き命がありすぎるほどにあったからでしょうか?
5月の北海道公演とはまったく違って、歌詞の言葉一つ一つが意味を持って迫ってくるような、心が深いところで揺さぶられるような思いがしました。
歌い終わって拍手をいただいたときは、歌わせてもらって、聴いてもらって、この地に誘ってもらって、本当にありがたいと思いました。
リハーサルそして本番、リハーサルそして本番と歌い重ねて行くほどに合唱団員のみなさんも力が入って行ったように思います。
第一章に「日本人よ今、自らに問え!」という歌詞があるのですが、最後のチョンジュでの演奏では、絶叫に近いようなそんな強い波が押し寄せてくるように感じ、みんな同じ気持ちなんだ!と思え、そのことにも心が震え曲はまだこれから5曲も残っているのに、涙がこみ上げてしまい困りました。これまで何度歌ってもここで涙が出るなんてなかったことでしたのに・・・