いずれも心重たいノグンリ記念公園、独立記念館

昨年7月、ノグンリの双子のトンネル前は、慰霊祭に集まった人々でいっぱいでした。それから1年・・・小雨の中、静かなトンネル周辺・・・
犠牲者たちはお盆(旧暦)に家族のもとへ帰る準備をしているところでしょうか? トンネルを抜けた左手小高い山の中腹にある慰霊碑には大分からの参加者の方でしょうか?千羽鶴が静かに横たえられておりました。道路を挟んで大きな赤土の広場は、記念館でしょうか、建設途中でした。

森村誠一さんと池辺晋一郎さんが代表しての記念植樹は、やや腰の高さからもう背の丈を超える木に成長しておりました。碑の横から小さな白い花がちょこんと顔をのぞかせておりました。
朝鮮戦争時、アメリカ軍(国連軍の名で)による無差別虐殺、ノグンリの告発が表面化して、実は・・・実は・・・と同様の虐殺が各地で行われていたことが明らかになってきているそうです。
ノグンリを後にしたバスの中で、「虹が出ている」という声が広がりました。
この日の夕食の時、ピアニストの志村泉さんが挨拶の中で、「昨年のノグンリの帰りにも虹が出ていたのです・・・」と話されました。記憶がないのですが、何かしら不思議なことですね。
ノグンリからの次に立ち寄ったのは、ソウルから2時間ほど南にある「独立記念館」でした。
1910年、日本は韓国から主権を強奪し、人間としての尊厳を認めず、多くの命を奪ったことからの「独立」、1945年8月15日です。独立記念館の前に立てられた韓国旗、815本(8月15日)であるというところに決して拭い去ることの出来ない怒り、悲しみ、怨念のようなものを感じさせられました。
子どもたちがたくさん訪ねておりました。この屈辱を風化させない、「国恥」という文献もありましたが、あるガイドさんが「修学旅行で行ってきました」とおっしゃってましたから教育はとても徹底しているように思いました。このようにしていろいろな世代から「刃」をつきつけられることによって、加害者日本人である私たちも正義とは何かを考える大きなきっかけになるのではないでしょうか?
昨年の西大門刑務所もそうでしたが、加害者であった日本の私たちは、どのような姿勢で回ればよいのか?頭を垂れるしかないのだなと思いました・・・
「日本軍慰安婦」として狩り立てられた女性たちのコーナーでは、ただ涙が流れました。
韓国、朝鮮半島には日本の社会文化のルーツがいっぱい散りばめられているのですから、その流れを敬虔に受け止めなければならないと思いました。
今回のツアーで、一番長く、重たい一日でした。