「昭和」の日


咲いた咲いた 赤・白・黄色 
今日は「昭和」の日だったんですね。ずーっと「みどりの日」だと思っていました。祝日/昭和天皇誕生日から、祝日/みどりの日に変わり、そして、2007年から祝日/「昭和の日」となっていたんですね。「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」意味があるそうです。1900年代は戦争の世紀と言われ、日本も深く積極的に関わっていた時代ですが、建国記念日靖国神社参拝同様、天皇制で利を得ようとする勢力が画策したんじゃないんでしょうか?
そんな「昭和」の日の今日、夕方ラジオをつけたら、永六輔さんの声が流れていました。NHKFM局の「今日は一日戦後歌謡三昧」という番組でした。永六輔さんは、作曲家中村八大さんとの長いお付き合いについて語っておられたようです。そして、車いす生活となった今、車いすから見えるものが以前とは全く違っていること、人を見上げて話さなければならず、見える位置も低くなっている。車いすは戦争によって生まれてきたし、医療器具というのは戦争によって発達してきた。しかし、戦争はよくない、と。そして最後に流れたのがこの歌でした。(2014年収録)
「生きているということは」 永六輔 詞 中村八大 曲
生きているということは 誰かに借りをつくること
生きていくということは その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら 誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように 誰かにそうしてあげよう

生きていくということは 誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを 忘れないでいること
めぐり逢い 愛しあい やがて別れの日
そのときに悔やまないように
今日を明日を生きよう

人は一人では生きてゆけない
誰も一人では歩いてゆけない

生きているということは 誰かに借りをつくること
生きていくということは その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら 誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように 誰かにそうしてあげよう
誰かにそうしてあげよう 誰かにそうしてあげよう

たった15分ぐらいで一日分全部聴いてしまったような気がしました。この長い詞をblogに載せようと思ったのは、hahatenも昭和という時代を生きたからなのかもしれないし、これが昭和の愛情と良心ではないかと。
それにしても、hahatenがいかに世の休日と離れた生活をしていたか!ですね。