hahatenの若かりし時代は、職業は結婚するまでの花嫁修業のような風潮が色濃く残っており、お茶やお花など勤しむ若い女性がたくさんおりました。でもhahatenは貧しかったですからねえ・・・1960年代経済成長が始まってすぐの頃でしたから花嫁修業とは無縁の生活を過ごしていました。
そして、結婚、働きながらの子育て、職場へ着いてコートを脱いだら前掛けをしたままだった!なんて生活でした。
そして・・・40代の終わり頃、親しくしてもらっていた職場の先輩から、お茶会があるけれど行ってみて、と誘われました。お茶なんて歴史の教科書に出て来る千利休しか知らない時でしたからええ!?と驚きました。そこに同じような友人がひとりいて、職場の片隅でお茶席のあれこれをレクチャーしてもらって、二人で恐る恐る出かけました。
それがお茶の始まりです。この時一緒に行ってお菓子をどう食べたらよいかわからずに持ち帰ってしまった友人の紹介で、一緒に表千家の先生に入門したのは48歳の時した。
以来24年になりますが、本腰が入らないままのhahatenとしても、最初のきっかけを作ってくださった職場の先輩を一度お招きしてお茶を差し上げたい、の気持ちをずっと持ち続けておりました。
それが青天の霹靂、意を決してお招きしましたら、快く訪ねて下さり、慌て者のお茶事でしたがとても喜んで下さり、hahatenとしては長年の肩の荷をホッと下したような一日でした。2017年危うくセーフの11月16日のことでした。
終わってみて思うのは、お茶を通してまた新しい自分が見えて来るのではないか?という楽しみです。折々のきっかけを作ってくださった方がまだまだおりますから、その方たちをお招きして思い出の道具について語らいながら、お茶を愉しんで行ければと切に思います。傷んだ足腰、もう少し頑張ってね。