3月8日は国際女性デーでした


正直なところ、国際女性デーの集会に参加したのは、5年ぶりです。今回は、池辺晋一郎さんの講演ということで、会場は満席プラス状態になりました。
hahatenの記憶に間違いがなければ、「札幌に仕事場を作って25年、蝉ではない semi札幌市民です」と講演が始まったように思います。
「音楽家なのにどうして政治的な行動をするのか?とよく聞かれるが、政治は特別な事ではなく、日常の毎日の暮らし、例えば、ゴミの出し方もルールがあり、それを守らなくてはならない、というように。生きているということは政治とかかわっていることであると考えています」
「20世紀末にベルリンの壁が崩され、もう平和についての歌をうたわなくてよいと考えたが、21世紀に入り、それまでの抑止力が外され、現代は、「抑圧された平和、そして抑圧されない戦争」の世界になっている」
「作曲の音について、物が下へ落下するように、ほおっておくと下がっていってしまう。その音を上げるというのはエネルギーを必要とする。例えれば犬の散歩に似ています。犬と飼い主が引っ張り合いになることがあり、その時犬に従うか、従わせるか、しばしとどまるか、作曲家はいつも「自然」と向き合っているんです。平和についても同じです。いつも考えて、メンテナンスしなくてはならない。」
世界各地、日本各地を知っている池辺さんですが、特に、弱者と言われる方々や、弱国と言われる国の人々にとても優し眼差しをを持っておられます。それは、その時どこにどんな眼を向けるか?ですね。
「愛媛のある知的障害児の学校の校歌を依頼された時、子供たちの率直な詩に涙がでるほどに心を動かされた。人をIQ知能指数で判断するがそれだけではない。感性の豊かさもその判断に加えなくてはならない。ダブルスタンダード、二つ以上の視座を持つことです」
そして「平和の歌を歌ったからといって、平和になるわけではない。しかし、それぞれがそれぞれのやり方や思いで微力を尽くすとき、そういう心を繋ぐことができるのが音楽の力です。肩を組ませ、腕も組ませることができるんです」
「今日は女性の集会、このように集まらなければならない問題があるから集まるんですね。平和の歌も同じです。歌わなくてよい時代がくるでしょうが、今は歌わなくてはならないんです」
今回の講演は、ご本人の仕事「音楽家」であることを通して、今の日本が「平和国家」でなくなる危機を乗り越えなければならないことを強く語られていたと思います。
モーツアルトトルコ行進曲を題材に作曲の音について解説。アマデウスについて「アマ(チュア)です」とダジャレで笑わせていました。
講演のあと、池辺晋一郎さんの指揮で「早春賦」を、ピアノで「ふるさと」を歌いました。ホラ、通路にも座っていますでしょ?
集会終了後は、これも久しぶりに、デモ行進に参加しました。今は「パレード」と言っていました。プログラムに折り込んであった赤色の紙を持って、「安倍首相にレッドカードを!」で盛り上がりましたよ。