レオナルド・ダ・ヴィンチ『アンギアーリの戦い』展


6月22日〜8月15日まで北海道立近代美術館で開催されている展覧会に、25日、息子夫婦の招待で行って参りました。Zun と孫娘たち、そしてhahaten。孫姉は絵画にとても興味を持っているのでZUNとじっくりと回っていましたが、戦の場面が多い今回展は孫妹にとっては怖い感じで早々にhahatenとまわりました。
今回の展覧会は、多分今ある壁(壁画)の向こうに残されているのではないか?と推測されるダ・ヴィンチの壁画をめぐるミステリーとも言うべきものでした。
解説をツマミ食いすると、
1504年、レオナルド・ダ・ヴィンチフィレンツェ共和国からの依頼を受けて、ヴェッキオ宮殿(共和国の政庁舎)の大会議室「500人大広間」に壁画『アンギアーリの戦い』を描き始めました。が、同時に、ダ・ヴィンチの壁画と反対側の壁では、『ダビデ像』を仕上げたばかりのミケランジェロが『カスチーナの戦い』の制作を手がけており、同じプロジェクトを同時期に両巨匠が手がけたのは、この時だけだそうです。
ダ・ヴィンチは、『アンギアーリの戦い』で軍旗を激しく奪い合う兵士たちや、軍馬の衝突を描いています。
この作品はダ・ヴィンチ最大の大作ですが、油絵の具で実験的な手法を試みましたがうまく行かず、この壁画は中断してしまいます。
ミケランジェロ壁画『カスチーナの戦い』も未完成のまま1512年まで同じ部屋に残されたままでしたが、特にダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』はその中心部分の素晴らしさが賞賛されて、その後数十年は多くの画家によって模写、模倣されました。
今回の展示絵画は、この模写がほとんどでした。
そして1555年〜72年にかけて、大広間は改築、拡張されますが、この改修はヴァザーリを中心に行われ、この時、ダ・ヴィンチミケランジェロの2つの未完成の壁画は共に壁ごと失われたと考えられてきました。
しかし、イタリアの美術史家でカリフォルニア大学のマウリツィオ・セラチーニ教授は次のように推測しています。1563年にヴァザーリによって五百人大広間に描かれたフレスコの壁画『マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い』の裏にダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』が隠されている、と。それは、ヴァザーリフレスコ画の12m地点、フィレンツェ兵士が掲げている緑色の軍旗のところに、"CERCA TROVA"(「探せ、さすれば見つかる」)というヴァザーリの文字が記されており、これがヒントであるというわけです。実際、ヴァザーリが、尊敬する師ダ・ヴィンチの作品を傷つける筈がない、と確信し、五百人大広間を隈なくレーダーやX線による調査を行ったところ、ダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』があったとされる東側の壁面には、ヴァザーリによってもう一つ壁が作られた二重壁になっていたことが分かりました。2つの新旧の壁の間には1cmから3cmの空洞があり、『アンギアーリの戦い』を保護するには十分な空間があったそうです。しかも2011年11月、セラチーニ教授は16世紀半ばの貴重なフレスコ画が残る壁に穴を穿ち、内側にもう一つの壁を発見し、その壁からはダ・ヴィンチの絵と思しき顔料が確認されたということです。
近い将来この壁画が500年の時を超えて私たちの目の前に拡がるかも知れませんね。
そんな期待満載のダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』展に思いがけず招待を受けて本当に感謝です。
ありがとうね。
http://www.hbc.co.jp/event/anghiari/ 主催HBCのWebSight