蘭亭序(王羲之)と梅花の歌序(大伴旅人)

f:id:hahaten:20190513151005j:plain王羲之による蘭亭序はあまりに有名ですが、hahatenも書道を志していた時は、折につけて臨書に励んでおりました。

王羲之が蘭亭に曲水の宴を開き、41人が集ったそうです。曲水の畔にそれぞれが陣取り、上から流れて来る酒杯が自分の所にくるまでに詩を詠み、その杯を干し、また酒を注いで下流に流す遊びをしました。その時詠まれた詩を一つに纏め、興に乗った王羲之が、さらさらとその序を書いたそうです。羲之自身それを気に入って家宝として残すことを遺言したそうですが、唐の時代太宗の計略によって奪われ、太宗の棺と共にこの世から姿を消してしまいました。

そんな蘭亭序ですが、この度新元号の下敷きとなった「梅花の歌三十二首」の序は、蘭亭序に範をとったのではないかという一文を読みました。

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時は聖武天皇の時代、大宰府にいた大伴旅人は中国からの情報にとても近いところにいたわけで、観梅の習慣を持つ中国に倣い、宴を行い、読まれた歌に「序」を付けたのではないだろうか?と。

双方が絡み合う?歴史の真実はわからないけれど、蘭亭序が持つ歴史的な事柄を脇において、臨書だけしていたhahatenが、書道家となることがなかったのは当然ですね。これを自明の理ということ?書の世界は深淵ということ。でもその一端を垣間見て良しとしましょう。

f:id:hahaten:20190513151126j:plain2008年日本で初公開の蘭亭序。顔真卿展も今年開かれましたね。筆をまた持ってみたい心が少し揺れます。